かつて、鬼無里の経済を支えていた“麻”に関わる文化財と大自然に関わる地質と化石の資料情報が収集されています。また龍や唐獅子などが「一木彫」や「透かし彫」などの精巧で華麗な技を施された屋台(山車)と神楽が展示されています。
この他彫刻家・北村喜代松、四海、正信三代の木彫、大理石彫と鬼無里が生んだ和算家・寺島宗伴の遺品や著述書も展示されています。
その昔、中田の十二神社は、鬼無里の谷が湖だった時、湊だったところで、南西へ直線距離で7.5km離れた小川村の飯綱神社と結ぶ渡し舟があったそうです。神社には根回り約11.5mの槻の木があって、船のともづなをこれに繋いだところから「船繋ぎの樹」と呼ばれました。十二神社の紋章が「帆かけ船」で鳥居を「波よけの鳥居」と呼ぶのもこの故事からです。この樹の下に信州松代の長国寺住職が寛政元年にこの伝承を開いて創った詩碑があります。
京都切戸の文殊、奈良安部の文殊にならぶ日本三文殊のひとつ。木曽義仲の守護仏、大聖智恵文殊菩薩を祀ったといわれています。本尊は弘法大師の作と伝えられ、奥裾花ダムの手前、土倉部落にあります。
長野市商工会 戸隠支所